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講演会要旨報告

 

京都大学教育学部創立70周年記念講演会 要旨報告

私説・京都大学論―「非」体制という    
ダンディズム(痩せ我慢)

京都大学名誉教授

竹内 洋 氏

京大生の満足感
 まず、準備としてちょっとクイズめいたことをやってみたいと思います。四半世紀前にリクルートで「いまあなたが在籍している大学に、将来あなたの子どもが入学したいと言ったら入学を勧めますか」という、ちょっとスキャンダラスな調査がありました。自分の行っている大学に子どもが行きたいと言ったら、やめておけと言うんだったら、その大学はどういうことだということになりますよね。100大学でいったい東大は何位だったのか。京大は何位だったのか。東大や京大が1位ではないとしたら、1位はいったい何大学だったか。まず現総長の山極先生、いかがでしょうか。
○山極 東大、10位ぐらいかな。京大が8位ぐらいではないですか。 ちょっといいぐらい。
○竹内 ああ、かなりいいところいっていますね。さすが総長ですね。1位はどこだと思いますか。
○山極 1位ね、1位か、どこだろう、慶應大学。
○竹内 ああ、これもいいところいっていますね。なんか霊感が働いているような感じがします。かなりポイントを突いていますよね。尾池先生、どうですか。
○尾池 東大が4位、京大が2位です。1位は、同じで、慶應。
○竹内 尾池先生もあるところでは非常にほとんど接近していますけど。そうしたら、会場の女性の人で誰か協力していただけたら。では、私の知っている前の学生がいますので、高山さんどうですか。
○高山 そうですね、6位と4位で、はい。京大の方が上です。
○竹内 1位はヒントを与えますが、私がたぶん回答を言ったら、やっぱりそうかと思いますよ。
 私、もう言ったではないですか。「やっぱりそうか」と。創価大学。はい。元総長と現総長がおっしゃった慶應大学は2位で、この1位も2位もほとんど変わらないんですよ。京大は3位なんですけど、東大は11位です。まあ、いまでもやったらこんな感じかなと思うんです。京大はすごく高いというのは、やっぱり誇りにすべきだなと思うんです。
 これ以外に、100大学の学生生活の満足度調査ですと、京大は9位。東大は22位で、一応高い方と考えたらいいですね。ところが、みっちり学べたという充実感となると、皆さんがだいたい想像できるように非常に低いんですね。ところが東大も低いです。それから、大学で受けた授業の満足感も50位以下。これは私も自分の経験を鑑みて、なんとなく分かるものであります。

Loose Couplingの典型であった京都大学

 徐々に本論に入っていきたいんですけども、まず京大生の満足感の源泉というのが、よく言われる自由な学風とか個性的な人材の輩出とかいうことは、世間にもよほど知られているみたいです。例えば、教育学部の新入生ガイダンスで「先生、京都大学は個性的な人材がたくさん出ると言われていますが、どうしたら個性的な人間になれるのでしょうか」という、はなはだ非個性的な質問というものもありました。
 私の時代には、大学というものが非常に緩い組織だったことは確かなのですが、その中でも、京都大学というのは超緩い大学だったのではないかと思うわけです。大学改革以前にはどんな大学にも、「ほとけの何とか先生」というのはいたんですね。単位が足りないと、その先生のところへ行くと「まあ、あげますからレポートを書きなさい」というのが、だいたいのほとけ教授のやり方です。ところが、私が学部学生のころのある先生ですが、スーパーほとけ教授なんですね。レポートを書けなんていうせこいことを言わない。「それで、あなたは何点欲しいんですか」と聞くんですよ。そうしたら、だいたいの人は60点と言うでしょう。あるつわものがいて、先生が「何点欲しいんですか」と言ったときに、「70点」と言ったら、本当に70点付いていたという。こんにち見たら、そういう鷹揚な大学というエピソード、言い換えればいいかげんな大学ということでもあろうかと思うのですが、それを組織社会学的に言えば、要するに、隙間の大きな組織体の典型が京大だったんだろうと思います。
 組織というのは、パーツが全部きつく相互作用がちゃんとあって、例えば上下関係とか横の関係がきっちりしている組織がTight couplingで、そういうのが、まったくばらばらになるのがDecouplingで、だから前者に行けば行くほど官僚制的組織ですよね。後者はアナーキーな組織みたいになるんだけども、もともと学校とか大学というのはLoose couplingなんです。なぜかと言うと、上下だとか横の関係というのをきっちりとしにくい。具体的に言ったら、大学で言えば学部自治というのは、これはLoose couplingというか、Decouplingの一つですよね。その中でも京都大学というのがLoose couplingのオーガニゼーションの典型的なものではないかと思うんです。

京大的なるものを形成した歴史的要因・地理的要因・構造的要因
 では、そういう京大的なるものというのがいったいどういうことで形成されたのか、ということを考えたいと思うわけです。そうすると、歴史的要因、それから地理的要因、構造的要因という三つで、京大的なるものが形成されたというように考えたらいいと思うんですね。
 まず、歴史的要因の方から見てみたいと思います。京都大学は第三高等学校の敷地にできたわけですが、もともと自由というのは、三高のよく言われた言葉です。一高が自治だとしたら、三高は自由だということを言われた。その三高の初代校長が、折田彦市先生ですね。この折田先生もまた独特な教育観で、すごいんですよね。「無為ニシテ化ス」、それから「為サザルコトニヨッテ為ス」と言うのだから。もともと教育というのは意図的な働き掛けなんですね。そうすると、折田先生が言うのは、意図的なものは排除しているわけです。言ってみれば非教育的教育、なんだか禅問答みたいな教育観ですが、何か感化というように考えると比較的いいかもしれないのですが、そういう折田先生の教育観も入って、三高の自由というのが出てきて、それが京大の自由につながっていったのだろうと思います。
 それから、京都という土地柄もやっぱり影響したのではないかと思うんですね。一高や五高と対比して、三高は断トツで平民が多いんですね。もともと近畿地方というのは士族の割合は非常に低いせいもあったと思いますが、とにかく他の高等学校に比べると町人的だった、それは風俗としての三高生に表れているわけですね。他の高等学校の旧制高校生というのは決まっていて、だいたい黒マント。それから、頭はじゃんぎりというか坊主頭なんですね。もちろん三高生もそういう人は多いのですが、角帯に着流しみたいな人もいるわけですよ。これは典型的に町人風ですよね。それから頭髪を伸ばして油を付けているとか、こんなのはよその旧制高等学校ではあまり見られないんですね。他にも京都の町柄という、土地柄、地理的要因も京大的になるものに影響していると思います。

京大的なるものを形成した構造的要因 ~ 東大と京大の非対称な関係
 第3番目の京大的なるものがつくられた形成要因として、社会学的要因と言ってもいいのですが、構造的要因です。京都帝大はそもそもできたときから、非常に東京帝大を意識させられているのですね。初代総長の木下総長は「当大学は東京大学の支店ではない」「小型でもない」ということを言っている。だから、独特の大学にならなくてはいけないと言って圧が掛かっているわけです。ですが、圧が掛かっているのだけど、「京都大学創立ノ事情」を見たら、「希望ハ東京ノ帝国大学ノ三分ノ二トスルコト」。最初から引けている感じですよね。3分の2をもらえたらいいよ、うれしいと言って。
 最新のデータを見ても、学生数や教職員数は接近していて東大が1.2倍ぐらいです。ところが予算の規模は東大が1.6倍ぐらいです。同じ規模で競争しろと言っているのだったら、まだやりようがあるのですが、そもそも3分の2東大にしておいて、圧だけ掛かっている。独特の大学になれというところに、京都大学の屈折した自負心みたいなものが出てくるのではないかと。その屈折した自負心のたまものがノーベル賞をたくさん取るというところにも表れているのかもしれませんが。
 そういう京都大学の位置で、早くも両方を比べて大学論というものが『東西両京の大学』として明治36年に『読売新聞』で長期にわたって連載されました。斬馬剣禅というすごいペンネームですね、現在は講談社学術文庫で本としてあります。彼は、判官びいきというか、もう東京大学についてはくそみそみたいに書いているんですよね。教授は「官学と貴族政治と平凡の学説」「醜陋なり俗物」というのは、めちゃくちゃ悪口ですよね。教育も「小学校的だ」と言っているわけです。それに対して、できたばかりの京大についてはすごく持ち上げています。教授は「学問の独立と平民政治と斬新の学説」と、そこまではいいのですが、「奇矯なる人物」と言っているわけです。教育は「放任自由で開発的、活用的だ」ということを言っています。当時の京都帝大の法科が非常に東大を意識して、自分たちがフンボルト的大学の理念に従って、官僚養成ではないアカデミズムの学校にしたいという意欲が強かったので、それを見ながら、彼はこういうことを言っているわけでございます。それに続けてこのようにも言っているわけです。東京大学を見ながら、京都大学が競っていくのは大変。東京大学の諸教授の学説が穏健平凡だけども、京大の方は「破天荒の説」を立てて社会を驚かすの挙に出でざるを得ない。要するにウルトラC狙いとかホームラン狙いということですよね。だけど、ウルトラC狙いをやったら着地に失敗するということがあるわけです。ホームラン狙いは三振するということもあります。そこでまたすごいことを言っているわけです。要するに「ただにその説の新奇なるのみならず、彼らの行動もまたすこぶる破天荒にして、奇人はますます奇に、快男児はますます快なるの現象を呈し、京都は百鬼の夜行を見るの奇観なきにあらず」と、おどろおどろしいような感じですよね。
 ところが、東大と京大の関係というのは、対称的ではないですよね。非対称的。さっき言ったように予算とか規模が3分の2だということが一つ。それから、そもそもいまに至っても東大対京大ということを言うのは京都大学の人だけではないかと思います。東大の人は、東大対それ以外の大学という構図だと思います。だから、京大の人は東大対京大と思っているかもしれないけど、向こうの方は全然思わないという非対称的関係も重要です。また、東大の方は、やはりバッシングされやすい存在。世間でも東大の悪口を言えばウケやすい。そうすると東大生というのは、例えてみれば苦労する長男・長女、京大の方は苦労なしの次男・次女みたいな、そういう非対称的な栄光と苦渋みたいなものがあるのではないかと思います。そこで、ウルトラCを狙えば着地失敗が起きる、ホームランを狙えば三振が起きるというのは、そういう構造の中から京大の学者の特徴が生れやすいのではないかと思います。

教育学部はダットサン
 そろそろ教育学部に移りたいと思いますが、私は昭和48年に関西大学の社会学部に就職しました。そのとき関西大学社会学部というのは、当時はできたばかりの学部でしたから、京大出身の先生が多かったのです。心理学とか社会学部ですから、社会学の先生はほとんど京大出身の先生が多かった。
 私が親しかった先生は心理学ですが、立派な先生でした。その先生があるとき「竹内君、君には悪いが、文学部はトラックだけど、教育学部はダットサンみたいなもんやな」と言ったんです。私は言われたときに、ああ、そうだな、教育学部はリヤカーだとか大八車と言われないだけましだなと、いい方向に考えました。昔だったら小さい道がいっぱいあるわけですよね。路地も。そんなところに入れないから、トラックよりもダットサンの方がよほどいいのではないか、小回りが利くのではないかと思いました。
 そこで今回の教育学部の講演があることでカリキュラムの歴史を見たら、やはりダットサンで小回りが利いて、いろんな斬新さを持って出発したんだなということはよく分かりました。発足時の構想に新聞学というものがあったのですね。それも第一講座、第二講座、第三講座と三つもあります。残念ながら、これは実現されませんでした。書類には出されなかったと思いますが、私が聞いたのでは、映画教育とか演劇とかも考えていたということは古い先生に聞いたことがあります。そして昭和39年には、日本初めての講座だと思いますが、臨床心理学。同年に教育人間学というものも日本初めてだったと思います。それから昭和63年には臨床教育学。これも講座制では初めてだと思います。
 しかも非常勤が非常にいい先生。人文研の先生って、昔は文学部は呼ばなかったのではないかと思います。教育学部はダットサンだから招聘して、具体的に言うと上山春平先生は比較教育学で来て大変よかったんです。比較思想史の授業で、私は2年間ぐらい聞きましたが、それ以外に人文研の吉田光邦先生とか、井上清先生とか。それからNHKの人が来て放送学概論なんていうのもあって、大変いろいろ斬新的なことを考えたんだなということを、そういう跡がよく分かります。

「<非>体制というダンディズム(痩せ我慢)」
 そろそろまとめに入ります。まず今日のサブタイトル、「<非>体制というダンディズム」は、京大らしさというもののまとめみたいになっていると思います。非体制というのは、体制でもないし反体制でもないということです。主流でもないし反主流でもないということです。
 英語にproとかconという言葉があると思います。proというのは賛成の方ですよね。conというのは反対、antiということですが、そのいずれでもない。要するに英語でいうとa。a historicalとか、つまり歴史に無関心とか、a moralといったら道徳に無関心という意味ですよね。そういうa。京大というのは、a establishmentということだと思います。だから、京大なるもののaは「ええです」ということでしょうね。 かすかに笑っていただいた人は、「ええ人」ですということでございます。
 そういう立ち位置がダンディズムになるというのは、やはり社会的要件が要るわけですね。一つは、ダンディズムが成り立つためには、自分一人でそんなことを思っても駄目なので、他者、オーディエンスが要るわけです。オーディエンスのまなざしがなければ、ドンキホーテみたいになるだけであると。ところがうまいことに判官びいきという他者のまなざしが用意されて、なんとなく様になるわけです。京大的なものがかっこいいみたいに思われるのは。
 それから非体制というポジショニングが意味を持つには、二項対立みたいなものがなければいけない。そもそも、貴族と中間層的な市民との間の両極端があるところでダンディズムというものが生じたわけですよね。つまりダンディズムは、一方では功利主義な中間層市民に対する差異化、功利主義の否定。他方で貴族に対しては、自分たちこそ本当の貴族、精神の貴族。
 だから、体制と反体制とか、正統と異端とか、正系と傍系というものが存在する中でダンディズムたり得るわけです。まなざしの方は判官びいきがある。結局、京都大学は正統的正統とは言えないのですね。東京大学があるわけですから。ところが、そうしたら傍系的傍系かといえば、そういうことはないわけだから、ちょうど両義性を持っているというところが、一つの美学が生まれる源泉です。
 ただ、ここで注意しなくてはいけないのは、もともとダンディズムというのは、だいたいナルシシズムと紙一重である。それを自覚しないと、それは美学ではなく漫画になるので、漫画か美学の綱渡りみたいなところがあるのだと思います。美学になるには、非体制という痩せ我慢、そういう意志を持たないとダンディズムにはならないのだと思います。そういう意味で、今日のタイトルに「ダンディズム(痩せ我慢)」と付けたゆえんでございます。

病理集団としての大学と近年の大学改革
 もう一つ、京大的なるものはノスタルジーではないということを最後に言いたいわけです。ここに『A PERFECT MESS』、直訳すると「完全なる混沌」という2017年に出たアメリカの大学論の本があります。messというのは、ごちゃごちゃという意味ですよね。この本はどんなことを言っているかというと、アメリカの大学というのは、何か整然としたもののように思うのは、まったくの間違いであるということなんです。要するに悪い言葉で言うと、ごった煮みたいなものが大学になっているのだと。ごった煮になっていることこそが大学のよきものを生んでいるのだということです。
 例えばアメリカの大学の成り立ちで、土地付き大学ということで州立大学ができますよね。だけど、それにはいろいろな思惑があって土地付き大学ができたと。例えば土地を提供したら人が寄ってくるだろうとか、土地の値段が上がるだろうとか、いろいろな思惑で。だから、何か整然としたプランがあったわけではまったくなく、現に出来上がった大学というのも、ごった煮だと。そして、アメリカの大学を簡単に矛盾として三つぐらい言うわけです。ポピュリスト、プラクティカル、エリーティスト。
 ポピュリストというのは、アメリカの大学は大学スポーツが盛んです。こういう大学スポーツがそもそも大学に必要かどうかというのもあるわけですが、これは大衆的サポートの意味をになっている。寄付もそうですよね。プラクティカルは、役に立つ研究とか役に立つ教育です。エリーティストというのは、アカデミックな専門研究。この三つは矛盾するものですが、例えばプラクティカルというのは、エリーティスト的な専門研究の超アカデミックなものがあるから、プラクティカルもよくなるのだということです。そしてエリーティスト的な側面は、プラクティカルな視点が他方であるから専門研究もよくなるのだということを言うわけです。矛盾したものがつなぎ合わさって、大学でなければできないようなことが行われているのだというのが、この本の言い方です。
 こういうことを考えると、京大的なるものは、京大だけの特異な現象だと言うよりも、大学的なものの本質を表しているのではないかなという気もします。極端なかたちで。『大学という病』は京大にいたときに書いた本ですが、私は、大学を考えるときは、病理集団として考えた方がいいのではないか、大学を解剖するのは病理学でした方がいいと思います。病理というのは、悪いという意味ではないです。
 すると、なんと進化医学の知見から見る大学みたいな論文があったのです。どんなことを言っているかというと、例えば感染症みたいなもので発熱するというのがあるじゃないですか。体温が上がると、これは下げなくてはいけないということで、必死になって氷で下げていくわけです。ところが発熱というのは、あれはディフェンスなんですよね。体温が上がることによって病原菌の生育環境を悪くするわけですよね。どんどん成長できないようにする。だから、体温を異常だと考えて下げればいいというのは、ちょっと駄目なわけです。それなら放置したらいいかというと、今度は死んでしまいますよね。要するにコストとベネフィットを考えて、どこあたりまでだったらいいかということだと思います。
 大学改革を考えるとき、大学は世間の人から見たら病気だということは、制度でも慣行でもいっぱいあると思います。それは、ちょうど一種の適応みたいなもの。企業の人にしたらトップダウンは当たり前だと言いますが、それは企業の論理であって、大学は、専門外の人がやたらに判断できるような仕組みになってはいけない。世間から見たら病気かもしれないけど、それは必ずしも病気とは言えない。ところが、もう収益とか、効率とか、ガバナンスと言ったときに、ちょうど体温が上がった、これは大変なことだと。高熱でいかんからといって、どんどん氷でも何でも入れて体温を下げればいいのだという発想と、すごく似ているのではないでしょうか。そうなると大学改革というのは、産湯と一緒に赤子を流すということにもなるわけです。大学を強くするという試みが、かえって大学を弱くするということだって生じるし、大学改革は成功したが大学は死んだということもあるわけです。
 それに関連して、やはり近年の大学改革というのは、私は基本的にちょっと変だと思うのは、財務省とか産業競争力会議とか、経済界の意見がものすごく大きいわけです。もちろん経済界からいろんなことを言うのはいいと思うのですが、『ゾウの時間ネズミの時間』というのがありましたが、経済の時間は短期的ですよね。教育の時間、研究の時間は長期的で、経済の時間とは違うのではないかと。それを全部経済の時間に合わせてするということは、どうかなと思うわけでございます。
 ここまで見てきた京大的なるものというのは、濃淡はいろいろあっても、その大学が大学である限り、ある程度どこの大学でも見られることではないかと。そう考えると京大的なるものというのは、ある種の普遍性も持ってくるのではないか。だから、大学改革の時代に、むしろ京大的なるものを振り返って、そこから考えるということも大事なことではないか。そういうことを申し添えて終わらせていただきたいと思います。長時間のご静聴をありがとうございました。

記念講演:令和元年6月30日(日)
 この講演録は当日の講演内容を要約し、さらに講師による改訂がなされた文章を掲載させて頂いております。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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