京友会ホームページ
Home 京都大学 京都大学教育学部 京友会 会則 KUON(京大同窓生用) お問い合わせ

ご挨拶 会則

総会報告 研究助成事業・国際賞選考報告 研究助成事業報告書 研究助成を受けて 講演会要旨報告 事務局より 総会アルバム



京都大学教育学部同窓会事務局
〒606-8501
京都市左京区吉田本町
電話・FAX:075(753)3042(直通)
メール:
kyouyukai(at)mail2.adm.kyoto-u.ac.jp
(at)は@に置き換えてください


研究助成事業・国際賞選考報告

        

平成28年度助成事業助成対象者報告

市川 和也

 本研究は、ドイツのヘンティッヒ(Hartmut von Hentig)によって中心に作られた、ビーレフェルト実験学校でのカリキュラムについて検討します。初等・中等教育を行うビーレフェルト実験学校が成立した1970年代のドイツは、アメリカのカリキュラム研究の影響を強く受けており、そのために教育内容が重視された従来とは異なり、カリキュラム作成時の合理性が重視され、専門家によるカリキュラムの作成が提起されました。こうした趨勢に対し、ヘンティッヒは教師たちが子どもに寄り添いながら自らカリキュラムを自主編成し、実践していくことを強調しました。
 ヘンティッヒの独自性はイリッチ(Ivan Illich)に影響を受けながら、「脱学校化」した学校の構築をビーレフェルト実験学校で試みようとした点です。イリッチによると、近代化とともに学校制度が確立する中でそれまで人間が自然にもっていた経験や自分で学ぶ力が、例えば教師によって計画された一斉授業内での学びに回収されてしまい、さらに日常生活に工業化・合理化されたものがあふれることによってもはや日常生活で豊かに経験し学ぶことが成立しなくなっている現状があります。ヘンティッヒはこうした知見を取り入れながら、「経験空間としての学校」を提起します。「経験空間としての学校」では、学問の範例、すなわち学問を適切に代表する個別の問題に集中的に取り組ませることに重点が置かれました。さらにこの個別の問題を追及する際に教師の主導ではなく、子どもの自主性が尊重され、異年齢集団からなるグループをもとに行われます。その際に生じるけんかや衝突などの偶発的な事柄によって「人とのかかわり」も教えようとしました。
 お受けした助成金は、この研究のための資料収集に使わせていただきました。なお、今後は今年度の修士論文提出にむけてこの研究を続け、さらに来年度以降この成果を学会誌に掲載できるように努力していきます。

伊藤 すみれ

 私の研究の目的は、戦前期における「貧しさ」のイメージを「清貧」という概念をてがかりに検討することで、日本の貧困観の歴史的形成の一端を明らかにすることです。現代の貧困問題をめぐっては、「貧困は自己責任である」といった自己責任論や対立する見解が絶えず議論されており、貧困のなかにある人々がどのように見られているかということには世界的にも関心が向けられています。主要な観点としては、「貧困」の定義や福祉制度の設計・思想、あるいは貧困のメディア表象などが挙げられます。しかし、自ら努力して上昇しようとする生き方やその過程で醸成される成功観がそもそも「貧しさ」に意味を付与しているという側面については、明治中期以降に関しては研究がなされてきませんでした。したがって今回いただいた助成金では、成功観が大きく変化していく明治30 年代以降に焦点を当て、生き方と「貧しさ」のイメージの関係性を明らかにしようとしました。
 助成金は主に次の2 つの資料を収集するための交通費と複写費・書籍購入費として使用させていただきました。まず、明治30 年代以降の重要な生き方指南である修養論を書物や雑誌から抽出し、その中で貧しいことがどのように説かれているかを検討しました。中では特に文学者と宗教家が貧富について触れることが多く、真の成功と金銭とを切り離して語る傾向にあることが分かりました。次に、事例として相馬御風という人物を取り上げ、その成功観と貧しさの捉え方について変遷をたどりました。相馬御風は「都の西北」や「カチューシャの唄」を作詞している文学者で、良寛研究においても大きな功績を残しています。その書籍や記事、一人雑誌などからは、彼が仏教者ではなかったにもかかわらず、貧しくとも清く、安寧に生きる良寛を見出すことで、決して豊かとはいえない状況にあった自らを責める心境から救われたことが分かりました。
 上述の資料をもとに、「清貧」言説の積極的な意義と限界についてゴフマンやブルデューなどの社会学の理論から検討を行い、修士論文を執筆しました。研究成果は2017 年5 月に行われた関西社会学会で発表しております。今回収集した資料と分析結果に、今後青年視点から書かれたテキスト等を加えながら、研究を発展させていく所存です。このような貴重な機会をいただきましたこと、深くお礼申し上げます。

李 夢迪

 私の修士論文の研究テーマは「『週刊TV ガイド』から分析する女性読者の視聴行動」です。
 テレビ情報誌は、視聴者の放送情報への欲求と視聴行動を語るのに、適したメディアでありながら、それに関する先行研究は管見の限り日本では存在しないです。私の研究はテレビともテレビ情報誌とも強く結びついている女性読者に焦点を当て、番組情報メディアから女性読者の視聴行動を分析し、日本の「テレビ視聴文化」を考察することを目的とします。
 研究対象として、現存誌のなか、最長の歴史を持つ『週刊TVガイド』(東京ニュース通信社、関東版)を創刊号(1962年8月2日号)からネット登場以前の1990年代まで、3年ごとに二冊を分析します。本論文は、量的・質的分析と史的アプローチを合わせて用います。
 本研究を通じて明らかにされることは下記のようになります。
@テレビ視聴史の早期、能動的な視聴仕方が既に主婦層に存在する。主婦たちがテレビに最も接触しているにもかかわらず、「受動的な大衆」の代表としてイメージされてきた。ただし、テレビ情報誌から分析すると、早い時期から、主婦のテレビ視聴は既に能動的で、「見物・鑑賞」にとどまらない。一定のリテラシーをもって家族の視聴を管理し、テレビを通じて交際を充実させるように、主婦がテレビ視聴に積極的に関わる経験も読み取れる。そして、「副収入技術」、「健康美」、「内面的な自己充実」への求めから、主婦たちが「自己価値向上」のツールとしてテレビを能動的に利用しよう姿勢も窺える。
A80年代から、情報提供の場に特化したテレビ雑誌を通じて、読者の「従属的」な受容スタンスが読み取れる。従来の研究で、テレビ視聴の成熟期の女性は、リテラシ―を有している「能動的な視聴者」として構築される。ただし、テレビ情報誌の誌面変遷から、一部の女性視聴者テレビの「演出」に巻き込まれたり、アイドルに込められた「物語」に従って番組を消費したりする視聴仕方、「従属的」な受容スタンスが読み取れる。
 助成金につきましては、資料収集のための旅費、社史を提供していただいた東京ニュース通信社への謝礼、関連文献の購入に使用しました。今後もこの研究を進め、できるだけ早く成果を発表したいと考えております。研究助成をいただき、ありがとうございました。

福崎 泰規

 今日のイギリス(以下、イングランドのことを指す)では、2022年までにすべての公立学校を公設民営化することが目指されています。その公設民営化された学校を、アカデミーといいます。
 本研究では、イギリスの公立学校のうち、アカデミーへ転換した学校で勤務する教員に焦点をあて、公立学校のアカデミー化が教員の意識や専門性の変化に注目することで、2010年代前半のイギリスにおけるアカデミー政策の特質を明らかにすることを目的に、研究を進めてきました。そのためにまず、イギリスにおける公設民営学校をめぐる政策の展開を整理しました。そして次に、イギリスの教育学者であるA.ハーグリーブスの「教師文化論(The Theory of Teacher Culture)」を手がかりに、教育改革における教師の位置づけや、教育改革を教師はどうとらえているかを分析しました。
 その結果、労働党政権下の2002年に初めて設置されたアカデミーは、公立学校のアカデミーへの移行が教師の専門性の向上に資することを目指すことで、低学力地域における中等学校の成果を向上させるというねらいをもっていた一方、2010 年以降の保守党政権下でのアカデミーは、すべての公立学校を移行の対象とするものであったという違いがみられました。
 そのような現在のアカデミー政策が学校現場、特に教師に対してどのように受容されているのかを明らかにするために、アカデミーに勤務する教師を対象として実施したアンケート調査を実施しました。そこでは、アカデミー政策は教師の専門性向上に必ずしも寄与しないということや、教師の中には必ずしもアカデミー政策による教育効果を認識していないなどの回答が得られました。
 本助成金はこうした調査に対する経費として使わせていただきました。ご支援いただきましたこと、深く感謝いたします。ありがとうございました。

ジャルガルサイハン ジャルガルマー

 本研究では、モンゴルの高等教育機関における管 理運営のあり方を明らかにすることを目的とし、理事会における学生の管理運営への参加の実態について現地調査を行った。
 まず、モンゴルの高等教育制度に関して、最新の状況を把握し2017年の4月の法改正に関する文献資料を収集し、分析をした。次に、モンゴルの国立資料センターやモンゴル国立図書館等を訪問し、本研究に関わる先行研究、新聞記事、理事会に関する規則の収集に努めた。その後続いて聞き取り調査を行った。インタビュー対象者は12名であり、各役職によって整理すると、学長は一名、学生は二名、教員は三名、教育科学省職員は二名、モンゴル学生委員会関係者が二名、事務職員は二名となる。これらのインタビュー対象者は必ずしも網羅的とは言えないが、それぞれの立場によって、考え方に特徴が見られると考えられる。各関係者への聞き取り調査は、対面式半構造化インタビューに基づき、録音し、文字化して記録した。
 現地調査で得られた知見を踏また上で、モンゴル高等教育における理事会の在り方について学生参加に着目して考えると、民主主義的な管理運営の場と学生教育の場という二面性をもつことが特質として挙げられた。
 まず、民主主義的な管理運営の場という面については、モンゴルは1991年の法改正により高等教育の場において民主主義的な管理運営体制が目指された際、当初は運営費用提供者という面からの一アクターとしての役割が期待されたことで実現した理事会における学生参加の文脈であった。しかしこの流れを引き継ぎ、今現在は、学生には管理運営の構成員として重要な役割が期待されている。次に理事会の構成員としての役割を担うことによる学生教育の側面としては、管理運営を経験することで全体利益を考える機会が提供されることや、各参加学生間の交流が挙げられる。学生には、管理運営への参加を通して将来社会に貢献できる優秀な人材になるために何を目指すかなど、キャリアについて考えることに加え大学とはどのようなものであるべきかについて、また大学の発展などについて積極的に考えてほしいとの期待が込められている。

小谷田 裕美子

 私の修士論文のテーマは、『修行における「日常性」の問題――後期西田哲学における「平常底」の立場を介して』です。
 皆さんは「修行」というと何をイメージするでしょうか。滝にうたれたり、山をかけめぐったり、あるいは断食したり、寺に籠ったり…と、どこかで見聞きした宗教的な行為を思い浮べる人が多いかも知れません。そのイメージは間違いではなく、たしかに「修行」は、従来宗教学の領域で検討されてきました。特に日本の宗教学においては、そのような「脱日常・超日常」的な修行についての分析、解釈、実証研究が多く蓄積されています。
 しかし、修行は、そのように日常から離れたところに終始するわけではありません。人が日常生活から修行に向かう「往相」、ふたたびそこから日常生活へたち戻る「還相」、この往還を修行の全体構図とみるとき、「還相」がこれまで問われてこなかった修行のもうひとつの面として浮かび上がってきます。このように、「還相」に注目することは、修行を「日常性」との関わりのなかで捉えることです。私は以上の観点から、修行を人間形成(教育学)の問題として引きうけています。
 修士論文では、この問いを考察するために、西田幾多郎の後期思想における「平常底」の立場を介することにしました。後期西田のひとつの到達点である「逆対応」の論理とそれに基づく「平常底」の立場は、超越(の契機)を日常性そのものにみる立場であると考えらます。私は、このような「超越即内在」の思想は、修行における「日常性」の問題、ひいては修行の営みそのものを捉え直す視点となるのではないかと考えています。
 頂いた助成金は、西田幾多郎の全集や、「身体」の観点から西田哲学を評価した湯浅泰雄の全集など、文献購入の費用に充てました。今後もこの研究を進め、できるだけ早く成果を発表したいと思っています。このような貴重なご支援を頂き、誠にありがとうございました。

桑本 佳代子

 うつ病や躁うつ病などの気分障害者は、社会の中に安定した居場所がなく、人目を気にし外に出ることが難しく、孤独感を感じたり、ひきこもってしまったり、生活リズムを整えることが難しくなることが多い。その結果症状が悪化してしまう可能性が高く、ひいては自殺の高リスク者となってしまう。本研究では、気分障害者に対する相談・支援体制の現状把握を行うとともに、今後どのような支援が求められており、いかにして必要な支援を整備していけるのか明らかにしたい、と当初の研究計画を立てていた。
 まず、当事者の話を聞くことが必要と考え、東京都内の二カ所の当事者の会に参加した。しかし参加している中で、当事者の方々は、気分が落ち込んだときにどうすれば持ち直すことができるのか、どうすれば死を選ばないで生きることを選択できるのかという問題に最も直面し、苦悶していることがわかった。そして当事者の方々が死にたいと訴えても、治療者サイドからなかなか思うような返答が返ってこないことがわかった。
 そのため、当初予定していた医療機関や相談機関への実態把握の前に、死にたいと訴える人々にいかに関わっていくのか考えることを、本研究の初年度の目標とした。そして、自死に至った作者の著作を紐解いた。その結果、人々の自殺願望の背景に、生育歴に深く根を下ろした死に憑かれた自我があること、「死にたい」というと同時に、「なぜ生きているのか」という問いがあることを見いだした。そして、不治の病に苦しんだ著者の著作を通して、過去の生活を死んだものとして受け入れること、受け入れようとすることが、絶望から人を救う唯一の方法なのではないかと考えるに至った。さらに、精神分析の世界で、生と死や、自死の問題がどのように語られているのか取り上げ、自殺願望の強いクライエントに対して心理臨床家がやるべきことは,自己破壊へと進もうとする、その背景にある不安、恐怖をくり返し分析していくことであると見出した。 なお、本件に関連する論文を執筆し、「死の欲動に関する研究―自死を選ぶ人への心理臨床家のありかた―」として、京都大学教育学研究科紀要に掲載を依頼しているところである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Copyright ©京都大学教育学部同窓会