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講演会要旨報告

 

楽器・音楽・博物館、そして現代社会

~公立楽器博物館の25年の実践~

浜松市楽器博物館元館長

嶋 和彦 氏

皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました嶋と申します。コロナがなければ一昨年お話しさせていただく予定だったのですが、コロナのために2回延期になりまして、3年ぶりということになりました。
私は学術分野にいる人間ではありません。教育学部を卒業後、すぐに大阪の豊中市の普通の中学校の教員になりました。一生これで終わると思っていたのですけれども、ひょんなことから、趣味の音楽活動が本職に変わりまして、教員を辞めて、縁もゆかりもない浜松で楽器博物館開館の仕事に関わることになりました。
私立の大阪音楽大学、武蔵野音大、国立音大には立派な附属の楽器博物館はありましたが、教育研究用でしたので、時間などの制約もあり、音楽や楽器が好きな一般の方はなかなか好きな時に見学できませんでした。浜松はご存じのように世界最大の西洋楽器メーカーがあり、楽器とは関係の深い場所です。そこで当時の市長さんが、何か「音楽の街」づくりがしたいので全国にないものをということで、公立初の楽器博物館計画が浮上した次第です。
浜松の楽器産業でつくられているのは西洋楽器なのですけれども、浜松の楽器博物館は、ピアノとかに限らず、世界中の楽器を展示しようとしました。専門の学芸員をどうしようかということになって、私の師匠の大阪音楽大学教授で、楽器博物館計画のアドバイザーであった西岡信雄先生から、「やってみないか」とお話をいただいて、これもひとつのご縁だろうと。楽器博物館がオープンする時に私は40歳になるので、60歳の定年まで20年かけたら、何とか一人前の博物館になるかなと思いました。1994年に浜松に移り1年間準備、95年に開館、2016年の定年後は再任用で5年間勤めましたので、計27年間博物館で働きました。2004年から2019年まで館長をしていましたが、今日は、その15年間のことを中心にお話ししたいと思います。
今、博物館はどうあるべきかということを、楽器博物館に限らず、世界中の博物館が考えています。紛争で文化財や博物館が破壊されたり、人権問題や過去の植民地問題、地球環境問題など、いろんなことがあって大変な世界で、博物館は、のほほんとしていていいのですかということを、世界の博物館が考えているのです。2年前京都で開催された国際博物館会議ICOMの大会でも、それは大きな課題でした。
楽器博物館は、95年にヨーロッパと日本の展示だけでオープンし、96年にはアジア・アフリカの展示コーナーを作り、2004年に、全世界の楽器をほとんど収集できました。ストラディバリのような高価なものではなく、その時代と地域の標準的な楽器です。2006年に展示室も広くなりました。2012年には電子楽器コーナーも設けて、2013年に所蔵の19世紀前半のピアノで制作したCDが文化庁芸術祭レコード部門で大賞を、2014年に館の長年の特色ある活動に対して小泉文夫音楽賞を頂いて、20周年が来て、2018年、館長としての最後の年に、天皇皇后両陛下に来ていただけました。これまでに皇族の方は5人来ていらっしゃって、私が全部ご案内させていただきました。
今の館長さんが、楽器博物館の3D案内図を作ってくれましたので見てみましょう。
(3D案内図はこちらでご覧頂けます。)

開館時はヘッドホンで音が聴けるようにしました(写真①)。当時としては画期的なことで、大変好評でした。映像展示も、技術的にはできたのですけれども、当時はまだパソコンが普及しておらず、何千万とお金がかかるためできませんでした。


それから自由に楽器が演奏できるコーナーや部屋も整備していきました(写真②)。自由にできる分、楽器はどんどんダメになっていくんですけれども、大人も子どもも楽しく過ごしています。




2016年に入口正面に大きなスクリーンを作りました(写真③)。オープン当時と比べると、パソコン関係の技術はものすごく良くなり、値段も下がっていろんなことができるようになりました。

 

 

 

こちらはアジアの楽器ですね(写真④)。左側には韓国の楽器がずらりと並んでいます。これだけ揃っているのは、韓国と浜松ぐらいだと思います。

 

 

これが鍵盤楽器で、19世紀のオリジナルのピアノ類が全部で60台くらいあるのですが(写真⑤)、メンテナンスがとても大変です。今のピアノを調律したり修理したりする人では、当時の楽器のメンテナンスはできないのですね。昔の楽器を修理したり調律したりできる人は、日本には10人いるかいないかなんです。

こちらが電子楽器ですね(写真⑥)。これは楽器というよりもリズムボックスなんですね。コルグという電子楽器の会社が東京にありますが、コルグの一番最初の製品は、実はシンセサイザーじゃなくて、リズムボックス、リズムマシンなんです。ドンカマって言います。日本最初のリズムマシンをコルグさんからお借りして、半永久的に浜松で展示させていただいています。

これは山葉寅楠(やまはとらくす)さんの努力で、浜松で大量生産が始まった足踏み式のリードオルガン(写真⑦)。そのおかげで、日本中の小学校に、国産の安くて品質のいいオルガンが行き渡って、唱歌の音楽の教育ができるようになりました。その功績はやっぱりすごいですね。今のヤマハという会社は、リードオルガンは作りませんし、こういう歴史のことには、あまり関わってきませんでした。でも僕らは博物館なので、こういうものが日本の音楽教育にいかに役に立ったかということを、ヤマハさんに代わって一生懸命インフォメーションしているんです。

日本人が一番知っている外国の楽器というと、小学校の国語で習う馬頭琴ですね(写真⑧)。それを自由に弾ける施設というのは、日本でも少ないと思いますね。

 

 

 

こちらが初期のアジア・アフリカ展示室です(写真⑨)。男の子が日本の楽器を見て、なんじゃこりゃみたいな顔をしていたり(写真⑩)、いろんな雅楽の楽器を見て娘さんがヘッドホンで雅楽の音を一生懸命聴いている(写真⑪)。こういう姿が僕個人の、楽器博物館の理想なんです。音楽や楽器の専門家にとってどうのこうのというよりも、こういう風に家族がきて、音楽や楽器と仲良くなっていく。音楽のある生活っていいなみたいな。そういうのが楽しみな博物館にしようと最初から思っていました。

ヨーロッパの楽器博物館は楽器を楽器として扱っている。日本は、楽器を楽器として扱わないんですね。日本では楽器を美術品として扱って、美術的に価値のあるものしか国立の博物館に はない。ヨーロッパは、美術的に価値がなくても、楽器として価値があるものは全部ありますから、すごいなと思うんです。

 

展示以外の活動としては、博物館の常道として、教育・普及があります。もちろん収集・保存は当然のことで、できる範囲で修復もする。あとは研修活動ですね。学芸員実習とか、インターンシップ、学校の先生の研修、見学の受け入れとか。
活動の方針なんですけれども、世界の楽器と音楽を同じ目線で平等に見る。ここが大事なところなんです。ヨーロッパの楽器博物館、それから日本の私立音楽大学の楽器博物館も、隠れたバイアスでどうしてもヨーロッパリスペクトになるんですね。
逆に、日本の楽器はどうだ、良いだろうという姿勢も取らない。文化相対主義。どこの国の楽器も。値段を付けたら差があるけれども、楽器としては同じ価値。性能は違うけれど、価値としては同じということを貫いています。
それから、楽器の形とか構造だけじゃなくて、その楽器はどう人間にとって価値があるのかと。そういうのも発信しようと。人間にとって楽器とか音楽は何ですかと。それから、マスコミも教育界も取り上げない楽器とか音楽を取り上げたいわけです。そして、音楽愛好家のためだけの博物館にしないということ。音楽が苦手な人のための博物館にすること。
「博物館行き」という言葉をご存じですよね。「おまえはもう役に立たなくなったから、博物館行きだな」といった。不要なものとか、役に立たないもの、活躍が終わった引退者の墓場みたいな、それが博物館。逆に美術館は違うんです。「美術館行き」というと「おお、すごいね」となるんです。ですから、博物館を墓場から生きているものに、ステージへ変えていこうという目的もありました。

苦手な人はコンプレックスを持って、一生音楽嫌いになる。西洋音楽には楽譜というものがあるので、読めない人は、私はオタマジャクシが読めないのでと、音楽がコンプレックスになるんですね。それから楽器は歌と違って手で操る技術が要るので、それも苦手な人は敬遠する。西洋クラシック音楽が最高で、ロックも最高で、ジャズも最高で、と全部西洋音楽。日本の音楽とかアフリカ音楽とか、韓国・中国の音楽というのは敬遠してしまう。
ドレミファソラシドというピアノの音階がもう唯一絶対で、そこから外れると全部音痴、という間違った固定観念、常識が日本中に広まっています。でも、ドレミファソラシドに当てはまらない音楽とか楽器って世界中にわんさかあります。むしろ、ドレミファソラシドにきちっと入る音楽の方が少ない。日本の音楽の音階もそうですよね。
西洋の芸術楽器と音楽が上等で、今日持ってきたような楽器は上等じゃない、おもちゃだ、音程が悪い。これらの偏見、先入観、既成概念をちょっとでも変えていくというのが私の使命でした。
博物館は、最初はヨーロッパの楽器でオープンしたので、お客さんも「おお、いいものができた」と思っていたんですけれども、徐々に非ヨーロッパを増やして展示を変えていくと、やっぱり何人かは文句を言ってくるんですよ。浜松の楽器博物館は民族博物館みたいだって。それも今はもうないです。逆に浜松の楽器博物館は誇りだと言う人が増えた。西洋音楽一辺倒だった頭の固い大人が、自然の成り行きで少しずつ減っていく。今の若い人は、西洋のクラシック音楽だけじゃなくて、いろいろなものが好きになって、アジアとかアフリカとかの音楽をやる若い世代が増えてきている。お陰で、浜松の楽器博物館もコンスタントにお客さんが来てくれるようになりました。
ただ、日本の場合は、伝承の危機というのがあります。楽器そのものも材料がなくて、三味線の猫の皮とか象牙のバチがいろいろな事情でもう手に入らなくて。音楽界は大変なんです。そんなことも博物館を通じて情報発信していかなきゃいけない。楽器をつくる職人さんもいなくなってくる。絶滅危惧というのは、何も動物とか植物だけじゃないのです。絶滅危惧の楽器とか音楽はいっぱいあるので、それを何とかしないといけないですが、何ともできないというのが現状だと思います。

これは特別展です。初回はオープンの時にやった、竹とヒョウタンの楽器です(写真⑫)。常設展はヨーロッパと日本だけでオープンしたので、せめて特別展は、浜松の楽器博物館はヨーロッパと日本だけの楽器じゃないですよ、ということを示すためにやりました。

国立民族学博物館やリトルワールドからも資料をたくさんお借りして、500点ぐらい展示しました。

これは考古学です(写真⑬)。弥生や古墳時代の遺跡からも楽器がたくさん出ています、銅鐸や琴。男子が琴を弾いている埴輪が日本各地で出ています。考古学のファンはみんな音楽が好きというわけではないでしょうが、古墳時代、弥生時代にはもう楽器というのがあったんですよ、ということをアピールして、考古学ファンを引きつけるためにこの特別展をしました。音楽ファンだけを対象にすると入場者が頭打ちになりますので、いろいろな人を呼ばなきゃいけないということです。

これは鉄筋の彫刻なんです(写真⑭)。直径10ミリ前後ぐらいの鉄筋で作ります。楽器を演奏する彫刻をつくっている方が鳥取にいましてね、世界的にも有名なんです。その方のご協力で、鉄筋彫刻展をやりました。こういうことでアートファンを引っ張り込むということにしました。

 

こちらは楽器を演奏している姿の人形展(写真⑮)。このかわいい人形達は、大阪音楽大学の元学長、西岡信雄先生の個人コレクションだったんですけれども、先生が大阪音楽大学に全部寄付されて、それを全部お借りしての展示です。大阪音楽大学の音楽博物館は数年前に縮小したので、この人形は今は浜松に全部寄付していただきました。たぶん世界最大級の、楽器の演奏をする人形のコレクションだと思います。

これはバンジョーです(写真⑯)。700点ぐらいあって数としては世界最大のバンジョー・コレクションですね。古い時代のイギリスのバンジョーが多いです。

 

 

 

それから「楽器と20世紀」の展覧会(写真⑰)。20世紀を通して楽器がどう変わったかを展示したものです。最大の変化は電子楽器の登場ですね。この真ん中のお仏壇、仏像の光背みたいなやつは、オンド・マルトノですね。そのお隣はテルミンです。世界で最初の実用的な電子楽器。

 

ヤマハさんが創業125周年だったかのときに、ピアノの展覧会を東京でしたいというので、楽器博物館から古い19世紀のピアノを6台お貸しして、ヤマハの銀座の地下のところで、夏休みに3週間ぐらい展覧会をしました(写真⑱)。東京には、個人では19世紀の素晴らしいピアノを持っている方がいっぱいいるんですけれども、東京都民が触れる機会はあんまりないそうなんですね。だからこのときに、東京都民の人がいっぱい来てくださったそうです。

これは分かりますか。平家琵琶がありますよね(写真⑲)。『平家物語』はもともとは語り物ですから、琵琶法師が語っていたわけですね。それを復活させる、研究者と演奏者のプロジェクトを紹介しました。

 

 

 

それからこれが、二弦琴といいまして、二弦の琴ですね(写真⑳)。これは浅草が中心になったんですけれども絶滅危機です。もうやっている方がみんな高齢で、弾けなくなって、若い人がやらないし、もう何年かしたらなくなるだろうと。楽器は残っても、演奏する人はいなくなりますね。

 

これは三味線です(写真㉑)。右の三味線、ちょっと小さいじゃないですか。普通、三味線と言っているのはこっちで、九州三味線といいます。左が、この地元、京都の三味線です。柳川三味線というんですけれども、京都に唯一残っている。

 

これはインドですね(写真㉒)。この叩いているのは太鼓ですね。こちらはバイオリンで、西洋楽器ですけども、インド化している。で、こっちが歌と太鼓ですね、タンバリンみたいなの。こちら中央は人間国宝級の人なんですけれども、叩いているのは土でできた壺なんですよ。それでものすごい音楽をする。日本に普通に暮らしていたら、こんなの一生出会わないですけれども、インドに行っている、インドが好きな人は知っています。それを公にしようというのが、楽器博物館の使命です。そういう意味では、西洋音楽、西洋楽器というのは世界の楽器を比べると取っつきやすいんです。三味線も尺八も、やっぱり取っつきにくい。ギターとか、ピアノとか、フルートとか、クラリネットとか、トランペットと比べると、取っつきにくいんですよ。インドの音楽なんて音階がまた。とてもとても難しい。

ここに変わったオルガンがありますが、これは踏むオルガンです。周囲に布が巻いてある、腰巻きみたいに。私たちは、わかりやすいように腰巻きオルガンって言っているんですけれども、これは世界中で日本にしかないオルガンです。何でかというと、日本の女性の演奏者は、明治時代ですから、着物じゃないですか。それで足を伸ばしてぴょこぴょこ踏むと、裾が乱れますよね。だから、それを外に見えないようにするために布が巻いてある。
リードオルガンのふるさとなので、浜松は。だからリードオルガンのコンサート(写真㉓)。童謡唱歌をしたり、クラシックをしたり、賛美歌をしたり、そういうこともやりました。
ここに変わったオルガンがありますが、これは踏むオルガンです。周囲に布が巻いてある、腰巻きみたいに。腰巻きオルガンって言っているんですけれども、これは世界中で日本にしかないオルガンです。何でかというと、日本の女性の演奏者は、明治時代ですから、着物じゃないですか。それで足を伸ばしてぴょこぴょこ踏むと、裾が乱れますよね。だから、それを外に見えないようにするために布が巻いてある。

これは口琴というやつで、ゲオゲオゲオって、はじいて音を出していく(写真㉔)。口琴という楽器は、ロシア連邦のサハ共和国の楽器なんです。国立口琴博物館というのもあるんですね。アイヌにはムックリと呼ばれる口琴があります。この時は、サハ共和国一の名士が来てくださいました。

 

 

それから机の上のこれは中国の琴で、読み方は「きん」です(写真㉕)。木琴とか鉄琴の琴(きん)ですね。楽器の演奏方法、演奏技術が世界文化遺産になっています。北京オリンピックの時に開会式で琴の大合奏がありましたが、本来は合奏しません。自己修養で、人に聴かせるのではなく、自分の精神を向上させるための楽器ですね。

これはバグパイプです(写真㉖)。左右にスコットランドのバクパイプをもってキルトを着た男性がいます。北海道から九州まで日本中のバグパイプ演奏者を全部呼んで、こういうフェスティバルをやりました。
バイオリンとかトランペットとか、そういう人を呼ぶのは、ごく普通、当たり前なんですけれども、こういうマイナーな楽器をする人もいるということを忘れてはいけないし、こういう楽器も素晴らしい。バグパイプなんかはスコットランドでは国の楽器であり、ものすごく皆さん尊敬しているし、大切なものとして扱われています。そういう文化を日本の皆さんにも知ってもらおうと。

それから韓国の楽器、枝鼓チャングです(写真㉗)。鼓の親分みたいなものですね。これも東京から枝鼓チャングの専門家を招いて年に1回は演奏します。これもかなり奥の深い楽器ですね。宮廷音楽から一般の人まで演奏する楽器というと沖縄では三線(さんしん)でしょう。韓国ではこれなんです。

 

さて、織田信長と一休さんに共通する楽器というのがあるんです。学校では絶対に習いませんけれども、何だと思いますか。正解は尺八です(写真㉘、㉙)。これは当時の織田信長とか、一休さんとかが好んで吹いていた楽器なんですね。
京都の一休寺という一休さんのお寺、そこに一休さんが使った笛が残っていて、「一節切ひとよぎり」と言い、小さな尺八です。

これは、その一節切をつくっているところですね(写真㉚)。尺八の先生で、1人で全部やっていらして、子どもたちを集めて、竹からつくると。これも絶滅危惧種ですから、こんな楽器があるんだよというのを伝えるということですね。

 

 

これは何だと思いますか。ぱかっと咥えているんですね。日本の楽器で口に咥えて吹くものと言えば、篳篥(ひちりき)です(写真㉛)。東儀秀樹さんとかがやっている篳篥。それを小学生も大人もつくって、吹いてみようと、そういうワークショップですね。ちょっと練習したら音は鳴るんですけれども、これで西洋音楽を吹くのはなかなか大変なので広く普及するのは難しい。

でもそれよりも深刻な問題は、篳篥の口にくわえる部分、リードです。その平安時代から続く日本で唯一の産地が、大阪府高槻市の淀川の川辺なんです。そこでできる植物の葦でないと、篳篥のリードはできない。同じ葦でも、例えば北海道の葦では駄目なんです。しかし、ここに新名神の高速道路が通るということになりまして、この葦原が壊される危機が10年ほど前に生じました。そこで雅楽の関係者が立ち上がって、いろいろな運動をして、国も日本道路公団も分かる人が入った。ルートは変えられないけれども、橋脚を変えたり、保全するという約束をしてくれまして、絶滅からは逃れた。
ところがずっとボランティアで葦原の世話をやってくれていた地元の自治会の方たちもお歳を取ってきている。だから、これをいつまでつくれるかというのが心配なところだということです。楽器業界は大変なんですが、特に日本の楽器は大変です。
他にも三味線の象牙のバチですが、これはアフリカの象さんの牙ですね。この象さん自体が今絶滅危惧種です。この象牙1本から、このバチが幾つできると思いますか。三味線のバチって大きいんです。持つところは細いですけれども、ぶわっと広がっていましたね。広がっているということはそんなにも直径が要るということです。この象牙1本からこのバチが1個しかできない。大変です。これも篳篥のリードと同じで、コンゴ、カメルーン辺りにしかいないマルミミゾウの牙でないと駄目なんです。ところで、この象さんは植物を食べて、あちこちを歩き回って、自分のうんちの中にその植物の種を入れて落とすんですよ。ものすごく行動範囲が広いんですって。うんちは栄養がいっぱいなので、そこから種が芽を出して、やがて大きな森になるそうです。だから、この象さんは生態系の保護・保全にも役立っている。象さんがいなくなると、森がなくなると。

総合的ワークショップというのがありまして、楽器を演奏するのではなく、楽器博物館がやるのはもっと根幹なこと、その背景のことをやりましょう、あるいはそれに関連したことをやりましょうということで、こういうのをやったんですね。「インドネシアの伝統芸能体験」ということで、ガムランという楽器を中心にして、ガムランの演奏で演じる影絵人形芝居、ガムランの演奏で踊る宮廷舞踊、この3つをセットにして子どもたちにちょっとでも体験していただきましょうと(写真㉜)。1回の体験で10人から30人ぐらいしかできませんが、こうでもやっていかないと、社会的な責任は果たせないだろうなということでやりました。
また影絵人形を自分たちでつくって影絵人形芝居をしましょうと。そのときにガムランの音楽の伴奏でやりましょうということですね。
楽譜には数字が書いてありまして、しかも五線譜、オタマジャクシも使えます。1人1つずつの楽器の演奏では問題ないんですけれども、それぞれの楽器を違う順番に叩いたり、ちょっと速くしたりするので、みんな合わせるとちょっとずれてしまったりするんです。
こういう音楽教育というのは、ものすごく重要なんですよ。人のを聴かないと自分は入れないし、チームが1人欠けても音楽はできない。で、打楽器だから、絶対に音が出る。バイオリンとか管楽器だとなかなか出ないじゃないですか。この一番大きいゴングの子どもがいますが、この子は「僕はゴングがしたい」ということで、こっちが、ゴンガン、ゴンガンというのを32回ぐらいしたら、1発、ゴーンとしてもらうんですが、それだけでもすごくうれしいんですよ。
だから、音楽教育なんかを考えるときに、日本はリコーダーとか鍵盤ハーモニカとかやっていますけれども、こういう打楽器だと、とても取っつきやすいし、一方で複雑なこともいくらでもできるので、なかなか面白いと思いますね。

フィールドワークです。東北地方には神楽とか、いっぱい伝統芸能がありますけれども、浜松や愛知県奥三河も東北に次いで伝統芸能が多いんです。そこで花祭はなまつりとか、湯立神楽ゆたてかぐらとか、無病息災を祈願する祭りとかね。それも伝承がつらい状況にありますから、それも元気なうちに映像と写真に収めるということもずっとやっております。
こちらが花祭はなまつり(写真㉝)、向こうが湯立神楽ゆたてかぐらですね(写真㉞)。霜月祭りと言いますけれども。『千と千尋の神隠し』で神様がお風呂に入るじゃないですか。あれのルーツですね。

これは奈良の春日大社の若宮おん祭で演奏される日本の古いお琴です(写真㉟)。ここぐらいしか演奏していないんですね。楽器博物館では、展示はしてありますが、演奏はできませんから、こういうところに行って、映像を撮らせてもらう。奈良に行けば、これは年に1回聴けます。

 

これは大阪の四天王寺の本堂、六時堂というところですね(写真㊱)。そこの前に亀さんがいっぱいいる池があるじゃないですか、亀の池。その池の上に舞台があるんですよ。重要文化財の石舞台です。
そこで聖徳太子の命日の4月22日に、毎年昼過ぎから夕方まで舞楽の奉納があります。これもずっと民間の人たちが続けている。取材もしましたし、楽器博の20周年のときは、浜松に来てもらって、舞台で見せてもらいました。すごいものですね。大阪の四天王寺の雅楽というのは日本で一番古いものの1つです。宮内庁の雅楽よりも実は古いんですね。都があった関西ですから、そんなにすごい文化が当然あるわけです。

これらは一絃琴(写真㊲、㊳)です。ここは神戸の須磨寺で、須磨琴というのが伝わっています。これは在原行平が、都から須磨に流されて、そこで海岸で板を拾って自分の烏帽子のひもをその板に付けてつくったのが須磨琴の始まりだというんです。これはあくまでも伝説なんですけれども、この須磨琴を須磨寺が今でも守っていますということですね

向こうは高知です。宮尾登美子さんの小説に『一絃の琴』というのがありますが、それのモデルになったのが、この高知の一弦琴なんですね。その高知の伝統もいろいろ残っているという。

他に、小学校に移動博物館で毎年10校ぐらい行っています。馬頭琴を持っていったり、インドネシアの楽器を持っていったりです。小学校の教室で1クラスずつ招いて、いろいろなお話をしたり、体験したりするということをやっています。音を聴いたり、太鼓をたたいたり。あとは市内の私立の中学校が国際リカレント教育の一環で年に1回来てくれて、ガムランの実習をするんですね。インドネシアのお話を聞いたりもして。私立だからできることなんでしょうけれどもね。公立の中学校だったら、なかなかできないと思います。

図録とかCD・DVDでは、『イギリス・ソナタ』というイギリスの1802年のピアノを使ったCDが文化庁の芸術祭のグランプリを頂いたわけです。他にもレコード芸術誌での特選盤とか、いっぱい頂いていて、そういう流れの積み重ねの成果で小泉文夫音楽賞を頂きました。小泉文夫音楽賞は亡くなった小泉文夫さんの遺産でやっていたんですけれども、その遺産が全部なくなってしまって、現在はなくなりました。小泉文夫さんというのは昭和40年代、50年代に大活躍した民族音楽の先生で、西洋音楽以外の音楽を日本に、日本の一般国民、一般市民に知らしめた方ですね。僕はそのころ中学生、高校生、大学生で、こういう方のおかげで、そういう世界に目が開けたんです。

ここからは、色々な楽器を持ってきたので生音を聴いてもらいたいと思います。

まず、音、楽器というのは3つ要素があって、音を出すことと、音を大きくすること、それと音の高さを変えるところ。楽器には絶対にこの3つの要素があるんです。
ピアノだったら弦をバンとたたいて、そこから音を出すんですね。音を大きくするのは弦の下に見える薄い板です。あれがないとピアノの音は大きくなりません。ピアノの場合は、音の高さを変えるのは、1本の弦を変えるのではなくて、ドならドだけ担当の弦、ミならミだけ担当の弦があって、それらに対応して88鍵が並んでいるんですね。
でも、ギターの場合は6本しか弦がないですから、弦を指で押さえて、振動する部分の弦の長さを変えて音の高さを変える。笛だったらあなを押さえたり開けたりして、管の長さを変えて音を出す。音の高さを変えるというのは単純なことです。

次に、オルゴールです。オルゴールは皆さん、ご存じのように薄い金属の櫛みたいな板がちっちゃなぶつぶつをぴんとはじいて音を出しますね。これを大きくするにはどうするか。
普通、オルゴールというのは箱があるから、箱を開けたらもっと大きな音がしますね。箱が鳴っているんですけれども、電気を使わなくてもこの部屋に響くぐらいの音が鳴る(オルゴールをテーブルに乗せて鳴らす)。これが楽器なんですね。ポイントがあると鳴るんですよ。壁に付けても。例えばおでこにつけると、自分自身にも、ものすごく聞こえる。電気がなくても、こうやって音が大きくなるということの基本ですね。

一方、オルゴールと同じ薄い板をはじいて出すのが、これなんですね。お弁当箱みたいなやつに鉄の針金を金づちでたたいて、ぺったんこにして、差し込んで、指ではじく。オルゴールと一緒ですね。これのもっと大きいものがある。特徴はこのジャラジャラと出す雑音です。西洋音楽はこのような雑音は嫌いますから、こういうのが一切出ないようにつくります。
このアフリカの楽器をもとにして西洋人がつくったものがこれです。やはり澄んだ音がするんですけれども、でもアフリカの人がこれを聴いたらよくないって言うんですね。アフリカの楽器じゃないと駄目なんです。ビリビリとかバリバリというのが出ないと、この楽器は死んでいると。
(これのもっと違うパターンが、これは2階建てになっていますね。2階建てになっていると、親指だけだと鳴らないので、今度は人さし指も使って下からはじき上げる。やっぱりジャラジャラ鳴るんですね。箱がやはり大きい音を出します。

もっと箱が大きかったら大きく聞こえるから、大きくするためにはどうするかというと、これを使うんですよ。
これはグラスファイバーでできていますが、本当はアフリカ、ジンバブエでは丸いひょうたんですね。この半球にさきほどの楽器を付ける(写真㊴)。ただ、こうやってやるだけだと響きませんから、こう、半球の中に楽器を置くのですが、これだとふらふらしますので、そのへんの枝をぽきっと折って、楽器の端と半球の壁の間に棒を渡してくっつけたわけです。

それから、管楽器ですけれども、これは中学生もみんな使っているフルートですね。憧れる人は多いと思いますね。大きい音がするじゃないですか。フルートにはキーという蓋がいっぱい付いているんですけれども、フルートの一番古いご先祖さんには何もなく、ただの管に孔が開いています。
これはバッハの時代のフルートなので、キーが一番最初の部分だけ付いているんです。でも、他は全部孔が空いている。フルートはこれから始まって、最終的に今の形になったんですよ。これが楽器の変化ですね。17世紀ぐらいから始まって1800年代の真ん中へんで今のフルートになった。これ以上はキーは増えない。なぜかというと、人間には操作できない。これで精一杯。
何でこうなったか、そしてこっちの方が進んでいると言えるかどうかですね。このフルートは、一番最低音がドから始まって、ド、ド#、レ、レ#、ミ、ファ、ファ#と、ずっと一番てっぺんの域まで同じような明るさ、同じような大きさの音が出る。大きな音。
ところが、昔のフルートは孔も小さいし、吹くところも全然大きさが違います。管楽器は孔が大きいほど音がでかくなって、明るくなるんです。
楽器もその時代その時代の音楽とか、演奏会場の大きさなどに応じて、大きい音を求めるように進んできたわけです。
それからものすごく速いパッセージの音楽ができてきた。そのときに昔の楽器では性能的に太刀打ちできなくなるんですね。
自動車でも、使う、運転する側がもっと速く走りたいということでどんどん変わるし、鉄道では新幹線とかリニアが生まれる。楽器もでかい音、明るい音、音程がいい音というふうなことを求めたその結果がこれなんですよ。

音の大きさとともにもう一つ、#と♭の音をどうするかという問題がありますね。ソとラの間にソの♯、ラの♭があるんです。昔のフルートでソの♯を出そうと思ったら孔を半分開ける。こんなの演奏しているときには難しくてできないですね。ではどうするかというと、1つ孔を飛ばして、次の孔を押さえるんです。交差しますから、これをクロスフィンガリングと言いますけれども、ただこれでもそんなのを全部の曲でやっていたら、やっていられないでしょう。
一番いいのはソとラの間にもう1つ孔を開けるんです。さっきは半分開けたけれども、そうじゃなくて、ソの孔とラの孔の間にもう1つラの♭、ソの♯の孔を開ければいいんです。孔を開けたら今度は指が足りなくなる、だから、ふたで普段はふさいでおく、という涙ぐましい努力があるんですね。それをかたくなに拒否しているのが篠笛とか尺八とかですね。西洋の楽器は機械、機械、メカで勝負です。
ラッパもそうです。トランペットも押さえるピストンがありますけれども、もともとのトランペットは何もないですから、唇の具合で全部音を取ります。でも、本当にすごく難しいんです。みんなすごく難しいから楽するために、ピストンを付ける。進歩だと思うかもしれませんが、ただ楽するためだけ。便利になっただけ。便利になったことが進歩と言っていいのかなという考え方があるんですね。

先ほど話したように、昔のフルートでは、♭を出すときに1つ開けて押さえなきゃいけない。そうやってクロスフィンガリングで1つ開けて閉じると、音がちょっとこもるんです。明るい音が出ないんです。だから、この笛はド、ド♯、ずっと吹いていくと、全ての音は質が同じではない。均質な音がしない。それがいい時代もあったんですけれども、それが嫌な趣味の人がいっぱい出てきて、とにかく一緒の感じの音が欲しい。どこに行ってもきらきらする音。こもった音は嫌なんですね。1つ1つの音の陰影、陰を嫌うようになって、今知られている形のフルートができた。
でも、当時のフルートの音楽は陰影を前提として、陰影があることを承知の上で作曲家も書いているんです。だから、陰影がないとその曲の本来のよさが出ない。今のフルートで吹いてしまうと、その曲がもともと持った良さは出ないということになるんですね。それをようやく今から70、80年ぐらい前にヨーロッパの人が気付いて、昔の楽器を復活させてきた。その流行が日本にも50年前に来て、今では実践するプロの人がいっぱいいますね。
だけども、不便です。だから、みんなだいたい今のフルートを使う。どっちがいいかというと、昔のフルートのすごい演奏と、今のフルートのすごい演奏を聴いたら、甲乙付け難いです。ウイスキーとビールを比べるようなものですね。

それからドレミファソラシドは、孔が7つあった方がいいですが、実は7つなくてもドレミファソラシドは出るんです。これは表に2つ、裏に1個しかないんです。だから組み合わせをすると、4つしか音が出ない。ドレミファですね。でも、息を強く入れると、上の音が出るじゃないですか。孔が3つあれば、ドレミファソラシドが吹けるんです。だから、両方使わなくても片方の手だけで吹けるんです。
こういうものも昔からあるんです。こういうのを例えば、学校の先生が知っていたら、指が不自由な子どもたちとかは、これでドラミファソラシドだけの曲だったら吹けるんですね。こういうのは世界を探せばいろいろな材料はあるので、使えるんじゃないかなと思ったりします。

それから、これはパプアニューギニアの笛なんです(写真㊵)。道がないところの森の奥の、川でしか行けないところ。私が今日持ってきたのはお土産用の笛です。1人で吹くとつまらないんですね。ちょっと長さの違う笛を、数人で一緒に吹くんですよ。ポーパー、ポーパーみたいなパターンで。そうすると、ものすごくいい音がして、トランスみたいになってくるんですね。
ニューギニアの人たちはこれは笛の音じゃないと言うんですね。ニューギニアの奥地は精霊信仰、水木しげるさんの世界。なので向こうの人が言うには、これは精霊の声。だから、人間が息を吹き込んだら、自然界の精霊がこの中にさっと入ってきて、精霊が声を出すということなんです。
これも今、こういう明るい部屋で聴くと、何やねんとなるんですけれども、森の中に男だけが集まる小屋があって、そこは真っ暗なところで周りはジャングルですから、しーんとしていて、そこでこれを吹くと、ものすごく不気味になって、そこで男の子の割礼の儀式とかをやるんですね。そういう儀式で使う笛。決してこれで遊んだりしない。大事な笛。

音楽って音を楽しむと書くじゃないですかというのは、よくいろいろな人が言いますけれども、そうじゃないんですね。音を楽しむんだったら、「楽音」と書かないといけないでしょう。目的語が下に来ないと。
昔、中国では『越天楽』とか”何とか楽”とか、「楽」と書くだけで音楽のことを指しました。それが日本では楽しいという意味になってきている。プロの人だって、学校の先生だって音が楽しいとみんな言っていますけれども、あれはうそっぱちで、そんなことはないんですね。音楽というのはそういうものじゃなくて、楽しいものもあれば、真剣なものもあるということです。この一節切も精神修養の楽器だし、一弦琴も精神修養のお琴ですね。

最後になりますが、僕が人生の中で一番感動した音というのがあるんです。それはピアノとかではなく、ただのこういう笛なんです。この笛をお聴かせして終わりにしたいと思います。これは鼻で吹くんです。えっと思われるかもしれませんが、えも言われぬいい音がします。
鼻を付けます。こっちから息が抜けますので、押さえます。小泉文夫さんもこの笛の音が一番いい音だと、生前はおっしゃっていたそうなんですけれども。これは僕もはまりますね。これで楽しい音楽とか、ジャズとか、そういうのはできませんけれども、何か心が穏やかになる、そういう笛なんですね。
先ほどフルートの話をしましたが、実はピアノも小さな音のピアノから始まって、今のコンサートホールで使う、ガーンと鳴る音のピアノに変わってきたんです。ピアノの前はチェンバロというもっと音の小さい楽器です。多くの人がチェンバロからピアノに突然変わったというふうに思うんですけれども、そうではありません。ピアノができたのは1700年ぐらいなんですけれども、100年間は何もなくて、1800年ぐらいから急速に変わっていくんですけれども、今のピアノになるまでにものすごい、何百種類というピアノができていくわけですね。それぞれのピアノがめちゃくちゃいいんですよ。
去年ですかね、ショパンコンクールは今まで5年に1度だったんですが、ポーランドがコンクールから次のコンクールまでの間にもう一つショパンコンクールをつくったんです。それは今のピアノを使わない、ショパンの時代にあったピアノを使うショパンコンクール。当時のピアノは音も小さいし、タッチも違うし、全てが違うんですね。それでショパンはそういうピアノで演奏していたんだから、それでやりましょうというコンクールが始まったんですよ。
ショパンコンクールが昔の19世紀のピアノを使ったので、今のモダンピアノの人も19世紀のピアノに俄然注目するようになりました。
でも博物館なんかはとっくに、何十年も前からそういう昔のピアノは今とは違う良さがあって、今のピアノはいい、昔のピアノもいいと、そういうスタンスで来ていたんですけれども、なにせ今のが一番いいということを信じる人が多いので、振り向かれなかったんですけれども。でも、今そういう時代になってきていますので、これから音楽の世界、楽器の世界では、もっともっといろいろなことが起こるのではないかと思います。
世界中のいろいろな楽器は西洋音楽でつまずいた人を助けてくれるはずなんですね。老人になってもできるような楽器もあるんですよ。楽器とか音楽は人生にとって必要ですよね。食べないと死にますけれども、音楽とか美術とか芸術がないと、肉体は生きていても心が死んでしまうので、そういう意味では芸術とか音楽は大切だなと思うよ、というのが楽器博物館がいつもお客さんに対して発信していることになっています。
このあたりで終わりたいと思います。どうもありがとうございました。




 

 

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